『大日本史料』第三編(保安二・三年分)編纂メモ

保安二年(1121)・同三年(1122)と単純に変換しています。雑載は0月、閏月は空いているところに。

故陸奥橘前司殿

28冊19頁 http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0328/0019.tif
大山喬平編『京都大学文学部博物館の古文書』9・浄土宗西山派と三鈷寺文書(思文閣出版、1992年)。
向日市史』上巻(1983年)602〜5頁(熱田公執筆)も参照。
*「故陸奥橘前司殿」は、京都大学所蔵の保安4年8月「富坂庄預僧豪祐解」(『平安遺文』1730)の奥に記された異筆(『博物館の古文書』図版を参照)が、橘則光清少納言夫)としています。別人の可能性もありますが、しばらくこれに従います。(年代的に、則光から良真への寄進ではなく、則光私領の継承者からということになる。)
※参考
・長和5年(1016)4月16日卒の道貞(前陸奥守) http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0210/0116.tif以下
・永久3年(1115)12月卒の以綱(年代的にあうが、陸奥守現任で卒)http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0317/0026.tif以下