『大日本史料』第三編(保安二・三年分)編纂メモ

保安二年(1121)・同三年(1122)と単純に変換しています。雑載は0月、閏月は空いているところに。

『兵範記』保元三年八月十三日条

27冊196・197頁
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0327/0196.tif
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0327/0197.tif
『同』保元三年八月十六日条の引用の前に、
〔兵範記〕
保元三年八月
十五日、壬寅、〈〇中略〉
今夕大殿(藤原忠通)所宛、東三条殿政所舗設并饗饌式法如常、〈〇中略〉入夜式部大輔永範朝臣・和泉守邦綱朝臣・下官・皇太后宮大進光盛・大蔵少輔広安等参集、〈已上衣冠、保安以後例也、〉
※『増補史料大成』版3冊79頁上段。
26冊129・130頁に引用。
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0326/0129.tif
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/02/0326/0130.tif
保安二年の大殿は藤原忠実で所宛の実施は不明だが、先例となっているのは忠通の所宛と見た方がよい。